論理的に可愛い

2019-01-11

 

試験が終わり、劇団四季のミュージカル「キャッツ」を見に行った。

 

大好きなミュージカルなので見るのは10回目くらいだが、何回見ても感動できる。

特に今回はグリザベラ役が江畑晶慧さん。Wickedのエルファバ役でも何度か見たことがあったが、Memoryを歌っても声の深みが違う。

あとスキンブルシャンクス役のカイサー・タティクさん。とにかく背が高く、青い目が奇麗。スキンブルシャンクスの歌以降はどれだけタガーが場を回そうと、ミストフェリーズがオールドデュトロノミーを見つけてくれようと、マンカストラップがマキャビティと戦おうと、どうしてもスキンブルシャンクスしか見られない。

 

今年は10回以上ミュージカルを観ようと決めた。

 

後輩と家に帰りながら、「かわいい言葉」について考えた。人が「かわいい」と考えうる言葉、たとえば「クルトン」とか、というのはなんでかわいいと思うんだろう、と考える。

 

結論の一つ。人間は「赤ちゃんがしゃべっている言葉っぽい言葉」をかわいいと思うのではないだろうか、ということ。

①たとえば赤ちゃんは車のことを「ぶーぶー」といったり、お姉さんのことを「ねえねえ」と言ったりする。畳語の中でも子音の音節を引き継いだもの。「まあまあ」とか。

 

②赤ちゃんは「だいすき」というとき、「だいちゅき」と言う。「ちゅ」は可愛い。

 

③「パパ」「ママ」など、言葉の意味から赤ちゃんの存在が想起できるもの。これに準じて、「パピプペポ」「マミムメモ」は可愛いと認識しやすい気がする。

 

④発音する際、音節をなるべく分けなければ発音しづらいもの。「えのきたけ」とか、「かたたたき」とか。赤ちゃんは「頑張って発音している」感じがあるのでこのイメージにつながってくるのかも。「パピプペポ」は破裂音であるから、ひとつの音を発音するのにエネルギーがいる。こっちの面でも説明できるかも。

 

まとめると、可愛く聞こえる要素は

①前の母音を引き継ぐ(畳語でなくてもいいかも)

②「ちゃ」「ちゅ」「ちぇ」「ちょ」

③「パパ」「ママ」

④音節を分ける言葉

 

この中の要素をなるべく多く、そして無駄な音が少ない言葉は何か。この考え方でいけば効率的に、論理的に「かわいいことば」が生み出せそうな気がする。

 

思い浮かんだのは「チャプチェ」でした。

 

もっと強くなれる

2019-01-10

 

丸一日勉強の日だった。

 

高校の時、興味のないことの勉強はつらい、と考えていたが、大学生になって能動的な学習の時間が増えてみるとそうでもない。

よく考えたら興味のない勉強が減ったというわけではない。今日だって政治学を丸一日かけて勉強していたし、特別興味があるわけではない。(政治的対立のイデオロギーに内在する宗教対立には興味がある。)

 

知るということは知らなかったということだ。逆に、知らないということは知ることに他ならない。ずっとそう考えている。

 

知ることが好きだ。なんでもない内容でも、絶対に知っているほうが強い。高田純次がたった1回だけテレビで涙を流した理由を知らなくても、にんにくはそのままみじん切りにするよりも一度潰してからみじん切りにしたほうがいいということを知らなくても損はしない。でも知っていたほうが強い。

 

知ることが好きだ。だから知らないことが好きだ。

 

マツコの知らない世界」の構想はそういうことなんだろう。マツコの知らない世界は、マツコがこれから知る世界なのだ。

 

知らないことは本当に多いが、これから知れることが多いと思うとワクワクする。もっと強くなれる。

 

マクドナルドでポピュリズムを勉強しながらそんなことを考えていた。

健康診断の結果にワクワクする子ども

寒さが体に堪える。

 

ヒルナンデスで、芸能人の健康診断、なる企画をやっていた。(どうやら定期的にやっているようだ)

ハリセンボンの2人と椿鬼奴東京03の飯塚がどこかの最先端病院でいろいろな検査をやっていた。

どうやら4人とも大した診断はなかったようで、企画自体は特に面白いものではなかった。

 

尿路結石やら骨粗鬆症やら、色々検査をしていたがその中でも目に留まったのはピロリ菌の検査。数日前に聞いたばかりの話だった。

母によると、母の胃の中にピロリ菌というものがいた、なので君たちの体にもいるだろう、抗生物質を飲んで陰性化したほうがよい、と。

ヒルナンデスが言うには、いるだけで問題があるわけではないが、胃ガンの原因になったりするものらしい。怖い。

 

抗生物質を飲めば大丈夫とのことだが、「胃の中にピロリ菌がいるかもしれない」というふわふわした状態のままどこの病院に行けばちゃんとした検査をしてもらえるのか。なにを言えば抗生物質がもらえるのか。非常に、非常にハードルの高い課題のような気がした。

 

ピロリ菌に限らず、であるが体の中が怖い。酒は浴びるように飲むし毎日煙草を吸うし、弁当やファストフードばかりの生活が続いている。体の中が怖いし、これで正常なら自分の体がもっと怖い。

 

ただ、ちゃんとした健康診断を受けて何か病気や異常が出るのではないか、というちょっとしたワクワク感のようなものも同時に持っていて、これは自分がまだ子供だからなのかな、とも感じる。

 

コンビニの高級なおにぎりには手を出せないが見ているだけでドキドキする、というのもまだ自分が子供だからなのか、と思ったのはファミマの300円の海鮮づくしのおにぎりを眺めている時だったかな。

 

病気の怖さはまだ知らないのだ。

急ぐマナーと冷たい鯖

2018-01-08

 

若干の二日酔いで目が覚めた。昨日の酒が残っていたらしく、体の節々が痛く頭も痛む。

 

二日酔いには慣れているしそんなに酷いものでもなかったので無理やり体を起こし大学へ。東南アジアで伝統的に行われるシラットという武術の動画を見る。

https://youtu.be/4tvtTsx4LUU

武術ではなく祭の一種だと思わせるため、音楽などをかけてカモフラージュしていた歴史から、今でも音楽をかけて行われることが多いらしい。逃げてきた歴史は長く続くものが多いような気がする。

 

昼、大学で食べた鯖の味噌煮が冷たく、やるせないような気持ちになった。皿を取る時から、これはもしかしたらずっと置いてあって冷たいかもしれないと思っていたらやっぱり冷たかったから、自分へのやるせなさを実感した。

しかし、生協というものはなんともスピーディさを求められているものであるような感じがする。いかにも手馴れていますよ、生協の食事に多くは求めませんよというスタンスで何食わぬ顔して通り過ぎるのがマナーのようになっている。冷たい鯖の味噌煮もこのマナーのようなものが生んだものと考えると、マナーというのはいいことばかりではないな、と思った。

 

最近、シンダウンというものがあるらしい。ダウン素材なので暖かいが、それでも薄い(Thin)作りなのでフォーマルな服にも合わせやすい、という。ダウンのデザインに少しハードルを感じている身としてはありがたく、とても気になる。しかしたぶん気になるだけで終わる。

 

夕方家に帰り、熱を測ったら微熱だった。二日酔いではなく風邪を引いていたのかもしれない。体は資本なので暖かくして寝た。

お正月が逃げて行った

2019-01-07

 

お正月という感じが完全に消えたように感じる。

 

もともと1日から仕事だったので、駅伝を見るわけでもなければ餅を食べまくるわけでもない、「お正月」を感じるにはあまりに乏しい生活を送っていたのだが、それでも体のどこかで「お正月」を感じていた。

 

お正月は好きだ。駅伝も餅も、正月の特番も好きだ。

 

体から逃げていく「お正月」を捕まえたくて、朝からお汁粉を作った。泊まっていた後輩は朝早く出て行ったので、作ってあげられなかった。また作ってください、と言っていた。

 

お汁粉は甘かった。美味しいのは美味しいが、甘いという感情が先に来た。お正月を感じる計画は失敗したように感じた。お正月が体の中から逃げていく。

 

午後、家を出てみたらマンションが足場に覆われていた。そういえば何かの工事がある、みたいな張り紙を見たような気もする。改めて見てみると、外装工事らしい。洗濯物は干さないでください、と書いてあった。

それで洗濯機を回したまま家を出たのを思い出した。ありがとう外装工事、、、と思ったけど、結局外には干せないので浴室乾燥を回す。冬は外の空気が奇麗なので、絶対に外に干したほうがいいな、と思いながら浴室を洗濯物でいっぱいにした。

 

ゼミのあと、同期と酒を飲みながら水平思考ゲームをした。これは面白いので本当に好きだ。世の中に「本当に好きなもの」はそんなに沢山はないように思うが、これはゲーム界でトップクラスに好きだ。このゲームを一緒に楽しめるような友が好きなのかもしれない。

 

ある馬鹿な男は、50セントのコインと5ドルの紙幣を見せられると必ず50セントのコインを選ぶのはなぜか。という問題。

 

 

抜けていったお正月のことは忘れていた。ばいばい。

この子はいつも連呼する

2019-01-06

 

いいことしかない日だ。

 

前日、テニスの心地よい疲れで7時くらいに寝たが、特に早く起きることもなく8時半くらいに起きた。12時間以上寝たので腰と背中が猛烈に痛い。

 

親戚(とはいっても姉と両親、祖父母の小さな一族である)の集まりがあったので新横浜の焼肉屋へ。自分ではいかないような「いい」焼肉屋なので心が躍った。

 

期待通りに本当においしいと感じたが、よく考えたら今まで「いい焼肉」を食べたことがない。比べる対象がないし、舌が育っているわけでもないのでそれが「おいしい」のかはわからないはず。となると、「おいしい」という感覚は実は生まれ持ったものなのか?それとも、味以外の要素(値段、雰囲気、周りの反応等)から、外在的な「おいしい」に感覚が反応しているのか。

 

なんてことをウジウジ考えていたが、肉寿司はとにかく文句なしでおいしかった。

 

夜は後輩が家に泊まりに来た。夕飯のパスタを作っているとき、後輩は横でずっと見ていた。なにか手伝いたそうだったが、パスタなので特に手伝わせてあげられることもなく、ありがとうございますを連呼しながら食べていた。この子はいつも連呼する。

 

夕飯を食べ、ゼミの報告をまとめていたら後輩が食器を洗ってくれた。ありがとうございますを連呼した。

疲れ、万歳

2019-01-05

 

朝、目覚ましの30分後に起きる。それでも朝の予定までにはかなり余裕があったので、のんびりシャワーを浴び、シャツにアイロンをかける。コーヒーを飲む気分じゃなかったのでなんとなく納豆ご飯を食べた。一番の好物である。

 

午前中は塾の仕事があった。去年まであんなに嫌がっていたのはウソなんじゃないかと思うくらい嫌な仕事ではなくなった。予習をし、教えるだけ。予習も楽しめるし、生徒にうまく教えられたり生徒が楽しんでいたら嬉しい。特に小学6年生の難しい教材を予習しているときは自分の知も広がるのでいいことばかりである。

「先生」のお手本のような「やりがい」を感じている自分に少し恥ずかしくなるが、これはこれで悪くないことなんだと思う。

 

たった2時間半の仕事だったが7000円ほど稼いだのでテニスをしに大学に向かう。1年生たちと楽しんでいたら先輩が来たので4人で結局3時間半ほどは打った。

 

運動のあとの疲れは心地よいもので、それは「あれをやらなければ」という気持ちをはるかに凌駕する。中途半端な睡眠はよくないと思ったので電気を消して暖房をつけて寝た。

 

疲れ、万歳。